視線から見る人なりの幸せな生き方 [教養]

趣味に関しては色々やるので、うつ病とかそういうのではないと思います。食欲も普通にあるし、眠くなれば寝るし、授業の時間になれば学校にも行きます。テレビをみて声を出して笑うし、余裕です。知り合いと会えば普通に笑って喋ります。でももう友人関係も家族関係も全部、パチンパチンと自分から切り離していけたらいいのにと思います。世の中そんな簡単じゃないでしょうけど。
将来のことを思うと真っ暗すぎて、逃げたくなります。自殺する日にちをいつにするかとか、どうやって死ぬかとか考えますが、どうせ自殺なんてできません。笑えます。学校のカウンセラーのところへ行って喋りましたが、肝心なところについては言えず、自分のことを知られれば知られるほど、笑って適当なことを言ってしまって意味がないです。生きる意味がないので、本当はもっと早く死んだほうが良かったのですが、慣性の法則みたいな感じで生きて続けています。これからどう生きていくか考えるより、終わらせることを考えたほうが圧倒的に楽なので逃げているのだと思います。
気分転換に早朝ウォーキングとか好きなことをやるとか旅行とかいう回答をいただいたことがあります。ウォーキングをやっても好きなことをやっても旅行しても特に何も変わりませんでした。誰もいないところに行きたい気分です。甘えです。自分が自分でなくなりたいです。
「きみに期待する会社はきみの不安の数より多い」とかいうポスターを見かけました。
「きみ」がどんな人間なのか知らないくせに、よくも言えたものです。私が人事の人間なら私みたいな人材は要りません。私が他人だったら私みたいな知り合いも欲しくないです。
会話をするときも、他人と目を合わさないようにしています。たまに「目を見て話せ」と相手から言われることもあります。無理して目を見て話すと顔がこわばりチックの症状が出ます。それを見ると、相手は次から決して「目を見て話せ」とは言わなくなります。
初めこんな状態で、それこそ相談する相手もいなくて、自分は神経内科に行ったけど相手にもされなくて非常につらい思いをしました。しかしまあ今はそこそこ普通に生活しています。症状は治りませんが、あまり気にせずに生活しているというか・・・。仕事も農業に変えたので、普段それほど人と接する機会が無くて楽です。視線に恐怖を感じる自分も自分のキャラクターのひとつ。それも含めて自分のことを好きになったかも。足がない人には足がない人なりの、視線に恐怖を感じている人には視線に恐怖を感じている人なりの幸せな生き方があるのかなあと思ったり。
狼1号
キョジンバイゾウ
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